選択肢が多いことの落とし穴
東京に来てから強く思うことがあって。
全てを持つことは、なにも持っていない状況よりも遥かに悲惨なのではないか。all set up and ready for youな東京に最初の一歩を踏み入れた刹那、強く感じたのを覚えてる。
CNETより↓
北米や西欧に住んでいる人々は食物や職業、消費材といったものに関して他の地域の在住者よりも選択肢が多いと、スワスモア大学の教授で「The Paradox Of Choice:Why More Is Less(邦題:なぜ選ぶたびに後悔するのか--「選択の自由」の落とし穴 )」の著者Barry Schwartz氏は今週、カリフォルニア州カールズバッドで開催中のPC Forumで語った。この選択肢の多さが問題だと同氏は述べている。
途方にくれるほど多くの選択肢に囲まれると人は不安や非現実的な期待、自己非難、後悔といった感情によって精神的に不安定な状態に陥ると言われて いる。
たとえば、家電量販店などへ行けば、人は単に後悔するものを買ってしまうばかりである。このような現象がうつ病増加の主な一因になっていると同氏は 述べている。(全文)
長年の間ぼんやりと心に持っていたことが先日、オフィスでトイメンに座る日米ハーフの女の子とナゴヤメシランチしながらスコーンとシンクロしたところでこの記事が落ちてきた。ヘミングウェイは「to have and not to have」を書いたけど、与えられたto haveはやっぱりこれ上なく悲惨なことで。
それで思い出したけど、1ヶ月ほど前に出席した情報通信研究所主催のユビキタスシンポジウムの場で、山形大学の加納教授が生まれた年代別で日本人の基本パーソナリティ分類論みたいなのを展開していた(PDF)。
残念ながらこの資料からは読み取れないけど講演で教授は、1970年代生まれの性格特性を「イリュージョン世代」=常に「ここではないどこか、これではない他のなにか」を追い求める世代だと定義していた。モチロン究極的に広義にだけども、個人的にはストンと飲み込める展開論だった。
それはやはり戦争が終わってから初めての食糧難を危惧する必要のなかった世代だから、という。
幼年時代に生きる延びる為だけに奔走することもなく育ち、プレッシャーは「成功」へのベクトル捕捉という目的でのみ与えられた戦後初の世代。でもだからこそ、「生きる目的」へ強く思いを馳せる世代。何を手に入れても満足することなく、上に下に、左に右に迷走する。
世代的なものなのか、それだけではないような気もするけども、とりあえず残念なことに当てはまるふしが多く、ブレを常に修正しようともがく日々。
フォーカス。
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